命短し、恋せよ乙女的なネットサービスにおける寿命の考察
高校の頃、ゲームセンターでテトリスが、はやった。
ゲームセンターにおいてある期間が、1種類のゲームで大体2,3ヶ月なのを
テトリスは半年とか、1年とかおいてあった。
しかし、その後、格闘ゲームなどの登場、技術力の向上によりどんどん
新しいゲームが入荷し、ちょっとでも人気の無いゲームは、やりこむ前に
お店から消えていった。
とにかく、お店においてあることが条件なので、あと少しでクリアできそう
というときになくなっていたときのショックといったらあ、ないわけで。
さすがに、ゲーセンに提供するほどのゲームとなると、一朝一夕に作れる
ものではないわけだが、ただ、流行もの、というだけで作られたゲーム
例えばパクリぽいものなども、横行しはじめた。
やはりそういうものは寿命が短く、つまらない、すぐに飽きる、などの
問題があった。
近頃、twitterをはじめ、あえてパクったわけでは無いにしろ、安直に
リリースされるネットサービスが多い気がしないでもない。ユーザが
そのサービスの面白さになじむ前になくなってしまったりとか。
ある程度の規模まで発展していく、しばらく後で語られるサービスと
いうのは、一朝一夕には生まれない。じっくり腰をすえて熟す期間
というものが必要なのではないだろうか?
そんなことを、15年前のゲームセンター事情を振り返りつつ、感じるので
あった。