年賀状という名の変わらぬビジネスモデルについて想いを馳せる
今年になって1件も書いてなかったので、ふと(自前のブログもあるんだけど)
毎年なんだかんだで70枚くらい年賀状を書いて出していたのだが、ふと
「もういいかな」
と。
一時期は消費量というか流通量が40億枚といわれていた年賀状だが今は30億枚くらいらしい。
http://www.garbagenews.net/archives/2114695.html
このペースで減り続けると、あっという間になくなりそうな勢いである。
景気が悪いのもあるし、スマホやLINEがはやって代替されているのもあるだろう。
しかし、、、一番の理由は
「ずっと変わらないビジネスモデル」
なんじゃないかと。ちょうど年賀状が伸びていた時期、進研ゼミもマクドナルドも任天堂もソニーも伸びていた。
出したサービスの数だけあたっていた。そんな印象がある。
しかし、、、世の中にはどんどん新しいサービスが出てきて、最近ではそれがさらに加速しているようにも思う。
年賀状というビジネスはより新しいニーズに応える努力をしてきただろうか。
「そういうものじゃない、日本の文化だろうが」
そういう声もあるだろう。しかし、そうであれば、販売枚数という売上をもっと伸ばそうと1枚でも多くノルマを課して販売する必要もないはずである。
送りたい人だけが買って送ればいい。でも、それでは困る。そうであれば売れる仕組みをもっと考えないといけない。
例えばお年玉付き年賀状。あの仕組みはずっと変わっていない。気持ち、景品が今時に変わったくらいだが、およそ切手シートくらいまでしかあたったことがない。
自分のお年玉番号をツイートしたら当選確率2倍(ジャストアイデアだが)みたいな仕掛けがあれば、もっと違うのではないだろうか。
誰かが3枚買ったら、自分は1枚年賀状を変えるとか、ネットから出せるとか。mixi年賀状みたいのは良かったがそういうサービス展開がもっともっと必要だったように思う。
年賀状だけに限らず、変わらぬ良さと、変わらないことでお客が離れていく変えないといけない悪さ、を区別して改善していけるかどうか。
これからの全企業に求められるポイントを年賀状にも見た気がする今日このごろである。マクドナルドもガンガン閉店らしいしね。
livedoor関係者までどれだけ届けることができるか。それがすべてだ。
ライブドアとホリエモンは、本当に犯罪を犯して利益をただ求めた集団だったのか?
そしてそれがただ裁かれることで、日本の未来は守られたのか?
Apple、Google、Facebook、Amazon、、、インターネットテクノロジーを活かした企業の成長がいちぢるしい。それに対して日本企業はなんだか暗い話ばかりだ。
どうしてそうなってしまったのか?
ベンチャーvs大企業という二元論ではなく、まったく新しい働き方へのシフトが求められてきている。
それに乗り遅れれば、その先はもうない。
働いている人全てが、今起きているパラダイムシフトを意識する必要がある。
これからどういう時代になるのか。そこに生きていく人たちに求められるスキルとは。
あくまで、「ライブドア」「ホリエモン」「LINE」というのは、この本を手に取るきっかけであり、導入にすぎず、まったく本質ではない。
その本質へ迫るには、最後までこの本を読む必要があり、そのハードルは決して低くはないと思う。
しかし、LINEのスタンプやツイッターのような、あまりにも短いコミュニケーションを経るだけで、深い思考は果たしてできるのだろうか。
ネットが書籍を殺すのか?否、それはないだろう。メディアの違いという表面上のことだけでなく、含まれるコンテキストの違いがある。最近のネットニュースなどに物足りなさや、疲れを感じている人は薄々「それ」に気付き始めている。
今、我々が真に目を向けるべきことはなんなのか。